社会人になってから創業するまで①

社会人になってから創業するまで①

福島県よろず支援拠点コーディネーターの菊地 匡です。
IT、DXや売上拡大のご相談があれば私にお任せくださいませ。

 私は福島県よろず支援拠点にお世話になって2年目、そして創業してからも2年目となりますが、社会人で経験したことや創業に至るまでの経緯などを複数回に分けて、赤裸々にご紹介させていただければと思います。

 私は大学を卒業して、宮城にある地域のシステムベンダーに就職しました。最初は研修から入りましたが、6月位から現場に配属になり、システムエンジニア生活がスタートしました。新人なのでできることも少ないですが・・・。最初はマニュアル作りなどの簡単なものから始まり、ちょうど3か月ほどたった頃に新規プロジェクトの話が立ち上がりました。

 そこでは上司の計らいで要件定義というシステム構築の上流工程から参画させていただけることになったのです!なかなか、このありがたさが伝わらないとは思いますが、本来、新入社員に任せられるものではないのです。最初から戦力になるとは思っていなかったと思いますが、当時はとても嬉しかったのを覚えております。

 その後、要件定義、概要設計、詳細設計と進んだわけですが、ここでも上司は私の意見を取り入れてくださったのです。といいますか、ほぼ私の意見を設計に組み込んでくれたのです。技術的なご意見はしていただきましたが、私にとってはこれほどやりがいのある仕事は他になく、今でもこの時の上司に感謝を申し上げたいくらいです。

 さて、このプロジェクトは一つ大きな課題を抱えておりました。それは「納期が短い」「予算が少ない」ことです。通常1.5倍くらいの期間が欲しいところを低予算でやらなければいけなかったことから、プロジェクトは一気に火だるまになっていきました。
 
 私はこのとき、1か月間休みなし、8時出社、午前2時退社という生活を送っておりました。働き方改革が叫ばれている今では考えられない生活ですよね。朝は電車で出勤していましたが、帰りはタクシーを使ったり、上司に送ってもらったり、当時の彼女(現在の妻)に迎えに来てもらったりしました。

 このとき、普通ならば「無理」「もうやってられない」などの愚痴がでてもおかしくありませんでしたが、不思議とやる気に満ち溢れており、辞めたいなどとは一切思わなかったですね。
 何が言いたいかと申しますと、最近では就職してもすぐに辞めてしまう社会人がいるわけですが、尊敬できる人との出会いや、仕事へのやりがいを常に与えられれば、人はそんなにすぐに仕事を辞めたりしないのではないかということです。

 私は、最初の就職から3度職を変えております。理由は様々ですが、尊敬できる上司や先輩がいなかったり、将来が不安になったり(会社がつぶれるという話ではなく、自分のキャリアアップの話で)したことでした。

 逆に言えば、会社から自分の将来に夢や希望を与えられ、尊敬できる上司、先輩がいれば私の現在の立ち位置は違っていたかもしれません。


 「給料が少ない!上げてくれ!」と言われると会社はつらいところかと思いますが、上述したように従業員のキャリアアップ、上司への指導を今より更にきめ細やかに行っていくことで離職する人を少なくすることは可能だと思います。

 従業員の将来、キャリアップに真剣に向き合い、良い人間関係を作ることが、少子高齢化社会の中で企業が生き残る一つの道だと思います。

 デジタル化が進む中で、希薄な人間関係になっていく傾向にありますが、どこまで時代が進んでも「人と人」のつながりが大事だと私は思います。

若かりし頃の菊地22歳です。