経営者の夢と覚悟“わたしの創業物語”

経営者の夢と覚悟“わたしの創業物語”

福島県よろず支援拠点チーフコーディネーターの木村です。
60歳を迎える3年前に神奈川県から福島県に単身赴任し、来月で4年目を迎えます。私にとって福島県は第二創業の地であり第二の故郷になりました。というのも、私は東京で25年間みなさんと同様、中小企業の経営に携わってきました。いい時ももちろんありましたが、最後はリストラ、倒産、自己破産というめったに味わえない経験をして今、福島で仕事をさせていただいています。

中小企業経営者にとって会社の経営はご家族の生活に直結しています。ご家族で思い描く将来の夢を、会社経営を通じてしっかりと掴むためには経営にも明確なビジョンが必要です。今回は、ご家族の夢と会社のビジョンを実現するための“経営者の夢と覚悟” についてお伝えしたいと思います。
まずは、わたしの履歴書をご紹介します。


創業から12期までは毎年右肩上がり。過重残業、徹夜の毎日、しかし仲間(社員)は充実した毎日を送っていました。金融系投資会社、また当時の大手IT会社から第三者割当増資を受け、真剣にIPOを目指していました。しかし今考えてみると、何のためにIPOするのか、その先に何があるのかという明確なビジョンも持たずにただ夢を見ているような感覚だったと思います。取締役副社長でありながら全面的に会社の運営を任されていた私は、経営を学ぶこともせず、ただ己の企画力と営業力を頼りに会社を牽引していたのだと思います。経営者であるわたしの人間関係は、社員、クライアント、外部スタッフのみ。数値管理は、売上、粗利のみでした。

そんな時に、そんな心の隙に、マーフィーの法則がごとくピンチはやってきます。社員が増えていくと、創業当時から同じ釜の飯を食ってきた仲間と少しずつ距離ができてきます。自分が思う将来の夢と、部下が抱える今現在の悩みとが平行線を辿るような感じでした。一緒に酒を飲んでも何かしっくりこない日々が続きます。
そして、ちょっとした海外取引のトラブルをきっかけに、この溝はどんどん大きくなっていきました。

創業以来初めての減収、そして代表交代。わたしは代表者保証の重みもわからず社長となりました。
2アウト満塁でリリーフに立つ心境は、「俺が0点に抑えるぞ!」という気負いと、とんでもない緊張とがごちゃ混ぜになっていて、とても平常心とは言い難かったと思います。
それでも、何とかしなければならない、夢も諦めたくないという思いで、基礎知識もないままに先達の本を読み漁り、顧問会計士や外部専門家、金融機関と相談し経営改善に取り組みました。
そして経営改善の方針や方策が固まっていくと同時に感じたことは、社員との気持ちの乖離でした。

今思うことは、計画はいつでもどのようにでも変えることができる、しかし、人の気持ちに生まれた隙間を埋めることは簡単ではないということです。当たり前ですが、会社は経営者一人で支えているのではなく、社員が全員で支えているのです。
経営者がどれほど素晴らしい計画だと思っても、社員の気持ちが付いてこなくては計画は思う通りにはいきません。
強権という言葉があります。
気持ちの共有ができないのならば、当時のわたしは、強権に頼ろうと思っていたのだと思います。

ここまでが、わたしの履歴書の失敗談。主に内的要因についての話になります。代表取締役に就任し、半ば強引に経営改善に取り組み始めた直後の2008年のリーマンショック、そして2011年の東日本大震災という外的要因がわが社に襲い掛かることなど予想だにしていませんでした。・・・(次回に続く)